35年前
35年前、近所に住む憧れの大学生のお姉さんが、アメリカ留学をする前に茶道を始めるので一緒に習わないかと誘われたことがきっかけで、私は中学生でお茶を始めました。
自宅の裏のおばあ様が茶道の先生だったことで、そこに通い始めました。
はじめて稽古場に伺った時、玄関を開けて「こんにちは~~」と挨拶をしても反応がなく、「こんにちは~、こんにちは~~~」と、何回か声を大きく挨拶をすると「は~~~い」と奥からおばあさまが出て来られて、「ひとみちゃん?ですか?どうぞ、おあがりください」と奥の八畳の茶室に通されました。
当時の私には京間の八畳の空間が広く感じ、大きな舞台の真ん中に座っているような気分でしたね。しばらくすると綺麗なお菓子を持って先生が出て来られ、お点前をしてくださいました。
「毎週木曜日の夕方、私はここに来てお茶のお稽古が出来るのだ」といった喜びと、少し大人になったような背伸びした気持ちを抱えて座っていましたね。
何か大きな扉を自分で開けた喜びがありました。
稽古場に何度か通ううちに、新しいお点前を学ぶことや、大学生のお姉さん、警察官、会社勤めをされている大人達に出会えることで、未知の世界の扉が開いていくことも楽しみとなっていました。また、先生のご友人と言われる上品なおじい様、おばあ様たちが来られる事があり、茶道にまつわるお話をされているのでしょうが、何を会話しているのかわからず、時に始まる笑い声も何が楽しくて笑っているのかわからないでいましたが、皆様と同じ空間に居られることが喜びでありましたね。
今、私の稽古場には小学生から大学院生まで10名近く子供たちがお稽古に来ています。彼らの多感な時期をご一緒できることは幸せなことであり、小学校で流行っているクイズを出されタジタジになることや、授業で学んだこと、行事の取り組みを聞かせてもらうことで、彼らが何に興味を持っているかを知るきっかけになっています。その話題に近い茶道の話をして、少しでも彼らの気持ちが当日の稽古に向かうように心がけています。
このような体験を通し、私が学生時代にお世話になった先生も様々な工夫を凝らしてくださっていたのだろうと改めて思うことがありますね。
小さな体の小学低学年のお嬢さんが大人に混じって、扇子を床の前において軸や花を拝見し、袱紗を使って茶道具を清める姿は、同時に多くの大人たちの心を清めることになっています。
このように老若男女がお互いに響き合う環境は、忙しい現代人の我々にとって、かけがえのない時間を過ごしていると改めて思うことがありますね。このことに気づくには、随分と大人になってからのように思いますが、それでいいのではないでしょうか。
急いでたくさんの事を手から溢れ出しても、更にむさぼるように欲する現代人が多い中、一つ一つに向き合い稽古に励む学生たちの姿から一抹の明るい未来を見る昨今であります。
今わからない事でも、いつかわかるようになる。仮に、わからないままの場合は、自分には必要のないことだから、それでいいと、大らかに物事に関わる大人に育ってほしいですね。
令和六年 和暦如月 新月